運だけで人生が決まる

2009年4月13日

diary

ちょっと古いR25に、松尾貴史のインタビューが載っていました。
もちろん25なんて年齢じゃないので、単なる暇つぶしに読んでいるだけですがorz

人付き合いを損得で決めない

ま、それはそれとして、それによると彼は大学卒業してから話し方教室みたいなところに通いつつグラフィックデザイナーへの道を模索していたところに、偶然ラジオの仕事が決まり、それから芸能界へ入ったらしい。

どんな仕事でも「楽しいかどうか」ではなく「楽しめるかどうか」で考えているから辛い時期などなかった。だから人脈についても「この人と付き合って得になるかどうか」ではなく「この人は仕事では役に立たないけど楽しい」かどうかで付き合うという。

その考えから、異業種名刺交換会なんて行ってるヤツらは絶対に得をしない、とピシャリ。「人脈」を意識した時点で得をすることなんてないから、だそう。

それはステージ次第でしかない

さて。

 「了見が学生の頃から変わっていない」と本人も認めているけれども、まさしくその通り。上記のような考えが通用するのは、「先生」と呼ばれる職種と芸能界、そして学生だけ。つまり、自分がどのステージに立っているのか次第であり、ステージによっては全く異なる考えになる。

このインタビュー記事から勘違いしそうな25歳前後がもの凄くいそうだなあ、と思ったのは「自分はがんばることはしたくない」という言葉。
これにはもちろん、謙遜やポーズが含まれている。努力を一切していない訳がないし、そもそも話し方教室に通っている時点で松尾貴史が努力を放棄していないことは明白。ただ、25歳前後というとちょうど仕事にも慣れて、その分不満も出てきたり学生の頃思い描いていた理想とのギャップに悩み始める時期。
そこにこのインタビュー記事、これは人によっては害毒にしかならない可能性がある。

そうか、松尾貴史みたいな生き方もあるんだ。

とか、

がんばらないって言葉はかっこいいな。

とか、

人脈なんて意識してたら仕事の役に立たないよな。

なんてまんま受け売りみたいな考えをしてしまったらアウトだろうと思う。

記事を鵜呑みにするな

例えば人脈は意識して作るものと意識せずに出来上がるものがあるわけで、たまたまこのインタビューでは意識しないで作り上げられた方がピックアップされたに過ぎない。
異業種名刺交換会は人脈作りのために行く訳ではなく、その前段階、きっかけ作りのために行くに過ぎない。

「がんばらない」というのはこの記事の中で「100を90の力で楽しんでやること」と「100を30の力で楽しまないでやること」を比較して、楽しんでやらなければ少ない力でも苦労している、とか頑張っている、とか感じる、と言いたいのであって、若者に言い訳を与えてあげているわけではない。が、そのことをきちんと受け取れる25歳がどれだけいるのか、ということは甚だ疑問。

恐らく松尾貴史は努力もしている。でもそれを「頑張り」だと思ったことがないというだけ。

ただ、擁護できることばかりでもなかった。
恐らく松尾貴史は運が良かったのだろうと思う。

成功の秘訣は努力ではない。運である。

世の中の99%以上の人間は、「楽しめる」環境にいない。
嫌な上司の下で働きながらも、何か楽しみを見出そうとしているのだろう、なんて書いてあったけれども、少しでも楽しみを見出せているのならそれは幸運な人で、恐らく大半の人は「諦め」で仕事をしているだけだ。
上司は選べない。だからもうしょうがない。
とりあえず勤務時間を死んだふりして乗り切って、プライベートで楽しむしかない。こんなところじゃなかろうか。

社会で成功するためには「運」「努力」「才能」の3つが必要だけれども、その中で最もウェイトを占めるのは「運」。
これだけで殆どすべてを決定していると言っていい。

例えば1年を切り取ってみると、その年に就職した学生の何人が成功できるのか。
恐らくは2,3人だろう。
成功という言葉の定義にもよるが、40代で年収1,000万円に手が届きそうなところに到達できることを成功だと考えると、更に人数は厳しくなるかも知れない。
今後の少子高齢化社会、消費税率アップなどを考えれば40代で1,000万にたどり着かなければ老後はかなり厳しいはずだ。

成功確率(金だけの視点で)

と、なると3人/800,000人の成功確率。

実に0.0004%

もっと端的に「運だけ」ということを実証するなら、こう考えればいい。

1971年生まれは全員が就職できた。
1972年生まれは70%が就職できなかった。

運良く就職できた人間も、低賃金・悪条件下で昇給・昇進の希もなく馬車馬のように働くだけ。1歳上の人たちは自己啓発をしなくてもある程度の地位までは到達できる。

能力主義だ実力主義だというのは、日本の場合、企業が人件費削減の言い訳に使っているに過ぎないから、上記の例は多分あっている。
結局、生まれる年が1年違っただけで差というのは大きく出てくる。
ここ最近のことを考えても、去年卒業した人たちまでは「行きたい会社」なんて考えることすら許されないくらいの大氷河期だったのに、今年は特定の業種に限れば売り手市場、という現状を苦々しく見ているのではないか。

人生なんて運だけですべてが決まる。

だから努力は無駄でしかない。

日本で精神崩壊を起こさずに生きていくコツは、こういう諦観を持つことなんじゃないだろうか、と思う。でなければ、こんな狂った世界でとても正気ではいられない。