日本はこのまま黄昏へ向かうのか……

2010年6月25日

diary

ユニクロのファーストリテイリングが社内公用語を英語にするそうです。
そのことについて。

人口減で日本市場は頭打ちになるから、という理由のひとつはまったくもって正しいと思う。
どんなに売れても「人口×何着か」の計算式は確実であって、それは服飾業界以外でも同様で、人口減なのに売り上げが増えるなんて産業はあり得ない。
人口減なのに売り上げが増える企業、はある。単にシェアを拡大しただけなんだけど。

社内公用語を英語にする企業

さて、社内公用語の英語化について。

楽天と日産が有名なんだけども、楽天はバカ以外の何者でもないからどうでもいい。それ以上でもそれ以下でもない。未来のいつか/hyoshiokの日記みたいな人間がいる会社だから、そのうちなくなるだろう。

で、日産。
いや、これって別に言うまでもないよね。社長が日本人じゃないし。ていうか、「日産」て漢字で書かれてるけど、実態はもう外資系企業だし。
なので英語を公用語にするのは、アメリカに本社を持つ日本支社が会議を英語で行うのと同じ。当たり前のこと。

楽天・ユニクロ両者のニュースを見ていると、一足飛びで間に因果関係や誰もが納得する背景を持っていない。
英語で話せる=コミュニケーションが円滑になる=海外進出が容易になる
→ではなく、=で繋がってしまっているように感じる。

英語でコミュニケーションができる、或いはビジネス英語を話せる人間を海外担当にして、英語を話せないけど能力はある人間を国内においておく、では何故いけないのか。
社員全員が英語を話せるようになって、何がどう良くなるのか。

言語能力が平均化されれば、誰をどこに異動させるかが容易になり(少なくとも前提条件に言語能力を考慮する必要はなくなる)、より適材適所を適時適宜に行える。
と考えているとしたら愚の骨頂もここに極まれり、と言うべきだ。

英語を学ぶ時間を他のことに振り分けることにより、英語は話せないが他の能力(仮に能力Aとしておこう)に秀でた人がいる。その人は恐らく、英語を学ばなければならない状況になったとしたら能力Aの研鑽に費やす時間と労力・金額を英語に費やすため、能力Aは次第に衰えていくだろう。英語のスキルと反対に。

能力と適材適所

人間の能力は平均化することはできない。
子どもの頃のことを思い出してみればいい。

全教科に秀でている人も、何万人に1人くらいはいる。が、大半の人は国語は得意だけれど数学が苦手だったり、理科は好きだけれど社会は嫌いだったり、得手不得手があったのではないだろうか。

社会人になったとて同じことだ。
努力が万能であるのなら、「個性」という言葉は生まれていない。

人間は誰しもが同じ能力、同じ運を持っているわけでも、同じ努力ができるわけでもない。そこから出発すべきだ。
そこに「適材適所」という言葉が生まれる素地があるのだから。

ある一つの能力を全と捉えている問題

もうひとつ、問題がある。

話せないより話せた方がいい。それは当然だ。が、懸念されるのは社内公用語を英語にした会社以外にも、英語さえ話せれば良いが蔓延していくことが、火を見るより明らかであるということだ。

つまり、

  1. 英語が話せるけど無能
  2. 英語は話せないけど有能

の序列ができてしまい、何はなくとも英語を学ぼうという学生が量産されてしまう可能性がある。想像するだに恐ろしい光景だ。母国の文化や言語すらあやふやな学生たちが、モラトリアムから抜け出してません的なぼんやりした顔つきでECCやGABAへ向かうのか。

参考意見

非常によくまとまっているサイトがあったのでリンクしておく。

三木谷さんってここまで頭わるかったっけ?(楽天が社内公用語を英語化の件)

この記事にうんうん頷きながら他のを探していたら、言いたいことを端的かつ知的にまとめているサイトを発見した。

英語公用語化について(内田樹の研究室)

……しまった。
最初に紹介しておくべきだったなぁ。こんな記事より、上記2サイトを読むだけで英語を公用語化する問題を明確に理解できるから。

日本はどうなりたいのか

さて。
そこまでして海外の市場を開拓し、いったいどこへ向かうつもりなのだろう。

人口減で売り上げ増を見込めない。
それはわかる。
が、海外進出したところで何が変わるのか。

人口1億人の日本では、確かに市場規模も1億人分しかない。けれど、世界に出て行ったところで人口60億の市場はそこにあるがそれ以上ではない。
60億人分の市場が飽和したら、次は?

結局、これらの企業活動は焼畑農法の延長線でしかない。
英語を強要し、英語で話せる社員を量産することよりも、成熟しきって飽和状態にある日本市場でも生き残る方法を考えられる社員を見極め、その能力を磨かせた方がよほど有益だと思うのだが、どうか。
それから60億市場に打って出るなら、焼畑農法的営業にはならないのではないだろうか。

とは言え、この風潮は止まらないと思っている。
日本語で思考し表現することを訓練しなければならない小学生に英語を学ばせ、自国の古典文学は読めないけれども英文法はわかる生徒を生み出し、「国際」の名の下に自国の文化・言語を貶め、社会に出ても英語を強制される。

どこで日本人は間違ってしまったのか。
日本人はどこに向かおうとしているのか。
そこに明るい未来はない。


「そして有機体は黄昏へ向かう。」というこのブログのタイトルは、滅び行く日本と日本国民の未来を、別に悲観的ではなく単なる事実として表しただけです。

え?悲観的すぎる?
……どうかな。明るくなれる材料なんて、この国にある?