いろんな文章を読んでいて、特に気になるこの表現。
SSで見かけると、ほぼ100%こう使われている。正しく書けているのを未だ見たことがない。まあ、それほど見かけた訳ではないけれど。
商業誌でも
『ながされて藍蘭島』9巻でも「くんずほぐれず」となっていたのにはちょっとびっくり。
何のために編集者がいるのか、と。
スクエニにはよほど人がいないようですね。
正しくは、「くんづほぐれつ」。
「ほぐれず」ではない。
「組みつ解れつ」が元来の言葉だから「組んず」と書くのも微妙に違う。現代語であるなら正しいけど。(※)
品詞分解すれば、「組み」+「つ(並立の接続助詞)」+「解れ」+「つ」となり、完了の助動詞「つ」が転じたものをこうやって繋げて、「~たり、~たり」という意味になる。
これくらいは普通に高校で古典の授業を受けて入れば解りそうなものだけどなあ、と。古典文法で接助の「つ」を知らなくても、現代語でもあるでしょうに。「行きつ戻りつ」とか。
約物のはなし
さて。ついでにこれも言っておこうかな。
約物と呼ばれる中で、非常に気になる、というかはっきり言えば不愉快な「,(カンマ)」と「.(ピリオド)」の組み合わせ。
というか、日本語の中で「,」と「.」が使われているのが気持ち悪くて仕方ない。
これは歴史的にどうだとか言う問題ではなく、単純にどの表記に慣れているか、でしかないと思う。だから「不愉快」と書いたわけで、とにかく私個人としてはアレはやめて欲しいし、そう書かれているものはどんな名文でもすぐに放棄する。ブラウザなら速攻で閉じる。
同じように思っている人は多いはず。反対に思っている人も多いだろうけどね。
※現代語であるなら
もちろん「現代仮名遣いなら」という意味。思い立って「いずれ」「いづれ」で検索をかけてみたら、割と気になっている人は多いようだ。
ただ、「いづれ」が歴史的仮名遣いだから間違いで「いずれ」が現代仮名遣いだから正しい、と答えてる人が多いのには驚いた。中には「伊豆」に接尾語「れ」を充てたなどと素っ頓狂なことを答えてる人もいるので、案外こういうのをネットで調べてみるのも面白いかも知れない。
それはともかく、どうして「歴史的仮名遣い」が間違いで「現代仮名遣い」が正しい、と普通に発言できるのだろう?
本当なら「歴史的仮名遣いだから正しい」と言うべきなのではないか。質問者の意図にもよるのだろうけど。
もし、『「いずれ」と「いづれ」のどちらが現代語として正しいのか』と問われれば、迷うことなく『「いずれ」が正しいです』と答える。でも、『「いずれ」と「いづれ」のどちらが正しいのか』と聞かれたなら、『現代仮名遣いでは「いずれ」と書くことが正しいですが、本来なら「いづれ」が正しい表記です』と答えればよい。
日本語は曖昧さがいい味を出しているんだから、厳密に決め付けることは恐らく似つかわしくない言語ではないだろうか。
だから、どう使っても良いのだけれど、いくら何でもそれは酷い、と思ったことをちょっと述べてみた。
2011年11月追記です。
『流されて藍蘭島』を読み返していたら、「あれ?もしかしたらこれって、敢えて造語として『くんずほぐれず』って使ってるんじゃね?」と思いました。行人がしのぶに剣を教えてくっついている姿にすずが嫉妬する内容ですから、「くっついて離れない」という意味で使っているのかも知れません。