団塊世代とバブル世代

2013年8月3日

diary

この2世代が日本の癌であることは確定的に明らか。 
わかりづらいので年表にしてみた。 

1945年 終戦 
1947年 
 |   団塊の世代誕生 
1950年 

※ここからは凡その年号で表記 

1954年  高度経済成長開始(~1973年まで) 
1960年代 団塊の世代高校卒業→就職 
      バブル世代誕生 
1970年頃 団塊の世代大学卒業(世代全体の15%)→就職 
 |    氷河期世代誕生 
 |    高度経済成長終了(1974) 
1985年  プラザ合意 
1986年 
 |    バブル景気(団塊30~35歳、バブル16~22歳) 
 |    ゆとり世代誕生 
1992年  バブル崩壊 
 |    就職氷河期(団塊44~50歳、バブル22~28歳) 
1998年  新規求人倍率0.9 


氷河期世代とゆとり世代

大体の年号で並べてみたが、最も割を喰らっているのは誰しもが認める団塊ジュニア、就職氷河期世代の1972年~1980年生まれ。この世代は高度経済成長終焉期に生まれ、人数だけは多いので大学入試で苦労し、大学時代にバブル後期、アルバイトで稼ぐもその当時の平均時給は700円程度で実はほぼ頭打ちになっていた。 
そのため、好景気の実感をほぼ感じないまま成長し、けれども世相の「余裕で就職できる」という雰囲気に流されてしまい、それでも努力した人間はエリートコースに乗れたが、大半は就職する時になって不況に突入という、何とも言いようのない世代だ。 
世代内での格差が最もはっきりしているのも、この就職氷河期世代ではないかと思われる。 

次に哀れなのはゆとり世代だ。 
彼らはまったく好景気を知らない。ニュースですら聞いたことがない。
社会全体が暗くどんよりとした不況のムードの中で育ち、自分たちが与り知らないところでおバカな政治家や官僚によりゆとり教育の実験台となってしまい、訳がわからない間になぜかバカにされるという、これまた何とも言いようの無い世代になってしまった。 
氷河期世代よりは報われているのは、求人倍率が多少マシになっていることと、世相そのものが浮かれていないため、氷河期時代よりも将来のキャリアを見据えた助言をする大人がいることくらいだろうか。 

どちらの世代も、努力した人間はいたし成功した人間もいる。 
ただ、本人たちに提供される情報が圧倒的に不足しているため、自分たちで考える材料さえ与えられることがなく、あれよあれよという間に訳のわからない社会の波に飲み込まれ、何とかしようともがく頃には既に手遅れになってしまっている、という点で共通しているのではないかと思われる。 

そしてこれら世代に割を喰わせて逃げ切り勝ちを決め込んでいるのが、今回の問題となる「団塊の世代」と「バブル世代」だ。 


団塊とバブルの共通項

彼らにも共通している事柄がある。 
運の良さ、だ。 
まず強調しておきたいのは、日本の高度経済成長を生み作り上げてきたのは団塊世代ではなくその前の世代だ。団塊世代が大いなる勘違いをしているのはまずここだ。 
彼らは、前の世代が敗戦後の苦労を乗り越えて作り上げた高度経済成長に乗っかっただけに過ぎない。高度経済成長は1954年からであり、この頃団塊世代はまだ中学生。未曾有の経済成長期に高校を卒業し、金の卵ともてはやされ、大学に進んだ者は調子に乗って新左翼となり無意味に体制に反発した。 
そして高度経済成長を作り上げた戦中世代が引退し、団塊世代が管理職に就く頃に高度経済成長は終息する。入社した時には有能な戦中世代の言うことに従っていれば良く、安定期に管理職となったため、何か新しいビジネスを生み出さず既に構築されている業務をルーチンで行なうだけだった。
実際、団塊が中間管理職となった1970年~1985年頃だけが、特許出願件数がなだらかに推移しており、その他の年代の伸び率とは段違いである。 

バブル世代になるともっと明白だ。 
何しろ、大学時代にバブル経済で、有効求人倍率が3倍を超える、つまり1人の学生に対して3社以上からのオファーがあるという状況だったのだから、先輩の姿を見ている氷河期はともかくとして、ゆとり世代には想像もできない有様だろう。 
内定した学生を他の企業にとられないよう、会社の金で海外旅行をさせたり(内定拘束)、とにかく就職に一切の苦労は必要なかった。どんな大学でも、ただ待っていれば向こうから内定が転がり込んでくるのだ。今の学生にとっては夢のような世界に違いない。 
入社後にバブルが崩壊するが、それ自体は彼らの責任ではなく、その頃に責任ある立場にいた団塊世代の責任である。が、先にも述べた団塊世代が責任者ではバブル崩壊に対して有効な手立てを打てる訳もなく、かと言って何も考えずに就職したバブル世代が混乱した社会において考えて動けるはずもなく。失われた20年が成立してしまったのは必然であったと言う他にない。 
バブル世代までは初任給も高く、そのまま基本給を維持して年功序列を重ねた結果、無能な管理職が高給を食み、苦労して頑張ってきた若手が割を食うという現状に陥ってしまっている。 


団塊とバブル、この2世代に共通するのは「運の良さ」だ。 
前世代が積み上げた成果としての果実を、何の努力もせずにただその年に生まれたというだけでもぎ取り尽くして、次の世代に何も残さない。
団塊は既に引退したが年金で日本を圧迫し、バブルが今や管理職や責任のある立場になっている。何もしないで美味しい所だけを持っていった彼らは、次世代にとって危害でしかなく、自分たちの権益を削ってまで下の世代に何かをしてやろうなんて気概を持つ訳がない。 


日本の害悪たる世代

参議院議員選挙の結果を受けた記事でも書いたけれども、日本の未来は決して明るくはない。これは別に自民党だけの問題ではなく、老害たる団塊世代が日本の国土でのさばり、思慮を放棄したバブル世代が企業でのさばる、この現況が変わるのは、団塊が死滅しバブル世代が引退するまであと20年ほど後になると思われる。 

そしてその頃には、団塊世代が年金を食い尽くし、今までの段階の後釜にバブル世代が座るだけで、氷河期世代とゆとり世代にとっては恐らく、一生安心できる日々が訪れることはない。苦労したままで生涯をすごすのか、と思えば、そりゃ子供なんて生むわけがない。消費に回す訳もない。 

運よく、氷河期とゆとり世代にとって都合のいい時代が来れば良いとは思うが、それこそ運次第。2020年、2030年にどんな社会になっているか、その時までこのブログが残っているとは思えないけど、楽しみではある。