古文・漢文は不要か

2011年3月11日

diary

古文漢文を完全に廃止し、以下略(アルファルファモザイク)

驚いたのは、短絡的・表層的な思考の人間があまりにも多いこと。

理系・実学重視の人間が国語や歴史を否定する意見に共通するのは「古代の恋愛なんか読んで何になる」「無駄な学問」ばかり。現代文(学校で教えるものに限る)が無駄なのは否定しないけど、古文・漢文は教え方、学び方次第では理系・実学よりも遥かに実践的で応用的なのに。


例えば漢文。
まず、あれを「将来役に立つ【話】かどうか」で判断するからおかしくなる。

そりゃ確かに役には立たんでしょうよ、漢文の文章そのものなんて。
歴史と同じでただ話の表層だけをなぞったところで意味なんてない。
「菜根譚」や「論語」「春秋左子伝」などを、中学生や高校生が読んで理解できるはずがない。

現代のように何でもある、調べようと思ったらすぐにググって何でもわかる、こんな時代に生きている人間が、情報や物を入手する方法から対価から何から何まで【生きるための努力をしながら】【懸命に行わなければならない】時代に、学び、考え、得た思想や表現を理解できると思う方がどうかしている。

ある程度の人生経験を積んで、そこで初めて障りだけは理解できる、一部だけは共感できる、そういうレベルのものでしょう。

そしてその理解・共感できる世代になっても――これは2008/08/27の記事で書いたので簡単に言っておくと――話そのものではなくそこに含まれる意味や背景を理解し、現代という時代や自分や周囲の人や環境、そういったものに応用できるように読まなければ意味がない。

学校でこのような教え方をしていないから、古文や漢文が不要だと恥ずかしげもなく主張する輩が後を絶たないのではないか、と思う。

そして次に。
漢文の構文を理解することは、そのまま現代文や英語構文、単語、数学、理科すべてに応用できる。ということが「古文・漢文不要論者」にはわかっていないし、彼らは実際できないのだろう。
センターレベルの漢文で満点以外はあり得ないと思っていたのだけれど、満点取れない人もいるらしい。驚きだ。驚愕と言ってもいい。

レ点や上下点、そんなものを覚える必要があるのか、知らなくても読めると思っていたのだが、どうやら返り点なしに白文のままで漢文が読めない人もいるようだ。これまた驚きだ。

こんな日本の現状では、自慢だと思っていなかったことが自慢になりそうなので言っておく。有名どころの古典(古事記・日本書紀・勅撰和歌集の大半・伊勢物語・源氏物語・枕草子・更級日記・方丈記・ 愚管抄・ 宇治拾遺物語・とはずがたり・沙石集etc…)は20代で原文のまま読んでいたし、センターレベルの漢文は高1の時点からただの1問も間違えたことがない。

テクニック的な話になってしまうかも知れないけれども、気づくか気づかないかではないか。

日本における漢字は古昔に中国から渡ってきた。
現代語と古文の違いを考えればわかることだが、発祥の地では屡次変化していく。
が、それらを移入したところでは大元の意味を残したままであることが多い。

これだけ言えば、どうして漢文で満点以外あり得ないのかはわかると思う。
だから上述の通り、現代文→古文→歴史→漢文と繋げて考えられるか否か、だ。

「古文・漢文は不要」と言っている人間は、繰り返すが応用力がないだけ。事象を表層的にしか捉えられないから、そういった短絡思考に陥るのだと思う。もっと「学問」というものを考え直し、学びなおした方がいい。

と、ここまで書いておいて何だけど。

1081 学名ナナシ : 2011年03月08日 04:05

古文が糞嫌いで漢文が超得意だった中途半端な立場から見れば

みんな自分の嫌いな教科を不要だ、得意な教科を必要だって言ってるのがよくわかる

結局、嫌いな教科は有用するほどの力が身についてないし、好きな教科は積極的に役立てる力があるだけなんだよね

漢文が好きで趣味で読んで、漢文構造で英語の文法覚えたり英検の四字熟語とか楽しめたけど古文を役立てられた事は今の今まで一瞬たりともない

……至言かも知れないw